第96回中東研究会(トルコ文化フォーラム)を開催
2024年11月05日更新
とき
2024年07月17日(水)
ところ
トルコ共和国大使公邸
内容
FECは7月17日、第96回中東研究会(トルコ文化フォーラム)をトルコ共和国大使公邸で開催した。はじめに松澤理事長が開会挨拶を行い、続いて コルクット・ギュンゲン駐日トルコ大使が歓迎挨拶を行った。
その後、大使館スタッフがトルコの文化に関するプレゼンテーションを行い、プレゼンテーション後は参加者全員で集合写真を撮影した。最後に大使館のご厚意により、トルコ料理が振る舞われ、参加者と大使館関係者が懇談を行った。
【大使挨拶】
トルコ大使館へようこそ。このように皆様と交流することを私達は重要と考えている。
トルコ共和国は1923年に建国され100年ばかり経過したが、わが国の歴史はこの100年に留まるものではない。それ以前には600~700年続いたオスマン帝国の歴史があり、更に歴史を遡ることができる。オスマン帝国の領土は、西はオーストリア、東はイラン、イエメンに至る現在の37ヶ国の領土に及ぶ範囲まで広がっていたが、その国々とはオスマン帝国の歴史を背景に今日まで関係が続いている。
トルコ共和国は民主的、かつ世俗的な国だ。今日の世界においてこの項目は時々議論されるが、トルコを理解する上で民主的、世俗的というワードは大切なことである。
トルコの面積は日本の2倍ほどあるが、人口は日本より少ない。トルコの北には国境を接してないがロシアやウクライナがあり、南にはシリア、レバノン、イスラエル、パレスチナがある。これらの国々はニュースや報道で耳にすることが多いと思う。またトルコの特徴は三方を大洋ではなく内海で囲まれていることである。
ここで一つの問いかけがある。地理的な意味だけでなく、文化的、イデオロギー、政治的にトルコはどこに立っているか。欧州の地図にも中東の地図にもトルコは存在している。今回のプレゼンテーションを通じて、「トルコの位置は?」という問いかけに対して、皆様には答えを出してもらいたい。
トルコ人のルーツは中央アジアに根差していると考えられている。今から1000年以上前、トルコ民族は西へと移動し、イランの北部を通過し現在のアナトリアに到着した。その後セルジューク朝を経てオスマン帝国が築かれた。私たちの祖先がアナトリアに行きついたのは1000年以上前だが、その土地には既に歴史があり、さまざまな民族や文化が栄えた場所だった。時には民族同士の戦争もあれば結婚もあった。トルコには長い国境線があるので陸での移動が非常に簡単だ。そのため、歴史の中で1万2000年前からアナトリアは東西南北から様々な人が行きかう土地だった。
トルコにはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教といった代表的な3つの宗教がある。トルコのキリスト教には、カトリックやプロテステントのほかに、ギリシャ正教やアルメニア正教の信者もいる。またトルコの国民の99%はイスラム教徒である。ここで強調したいのは、トルコは政治と宗教を分けて考える世俗主義である。
トルコに様々な人種、民族がいることを先ほど説明したが、その結果としてトルコには数多くの文化遺産がある。トルコ料理はトルコの文化遺産を象徴する一つである。オスマン帝国時代、宮廷料理の文化が育まれたことによりトルコ料理は洗練された。
トルコが加盟している国際組織も多彩だ。トルコとEUの関係は関税同盟を結んだ60年代まで遡る。また52年からはNATOにも加盟している。欧州評議会は人権、民主主義、法の支配をつかさどっているがトルコは設立メンバーである。人口の大半がムスリムでもあり、トルコはイスラム協力機構にも加盟している。またテュルク諸国と言われる国々との結びつきを重要視しており、テュルク諸国機構のメンバーでもある。国連改革は国際的な議題であり日本も積極的に参画している。国連発足当時と比較し、現在の世界は大きく変わっており、仕組みを変える必要性があると考えている。
われわれは地域の安定と平和を望んでいる。現在の情勢不安や内戦はトルコにも影響をもたらしている。日本や世界も影響を受けていると思うが、トルコは隣国として経済的、政治的、社会的に影響を直に受けている。トルコは紛争が起きているシリアやウクライナから多くの避難民を受け入れている。
トルコと日本には長い歴史がある。両国の関係は経済だけでなく多岐にわたっているが、今後は防衛産業も含めて更に広げたいと考えている。今年はイスタンブルに開学予定の「日本トルコ科学技術大学」のプロジェクトの実現を進めている。本件も両国を結ぶ重要な要素である。